1. トップ
  2. コラム一覧
  3. 町田厚成2017年03月23日付けコラム
コラム

ルート66をモーターホームで走る

 
 「1926年、イリノイ州のミシガン湖畔からカリフォルニア州サンタモニカ海岸を結ぶ、US ハイウェイとして誕生したルート66は、全長2448マイル、八つの州と三つのタイムゾーンを走り抜けるマザーロードである」
 と、『荒野をめざす-魂のハイウェイ・ルート66』(研究社出版 1994年刊)の著者・東理夫さんは書く。
 
 
 この本は私のバイブルである。
 著者である東さんが、伝説のハイウェイ「ルート66」を走った旅行記なのだが、どのページからも、アメリカという国が放つ空気そのものが匂い立ってくる。
 トウモロコシ畑の上空で鳴っている風の音。
 焼けたアスファルトの上を転がっていくタイヤの匂いや、エンジンオイルの匂い。
 小さな町に入ったとき、どこからか聞こえるディキシーランドジャズの演奏。
 ページを開けるたびに、あたかもそれらが、直接目や耳を襲ってくるように、鮮明に、詩情豊かに迫ってくる。
 
 この本を読んで、私はアメリカ大陸を走りたくなった。
 飛行機や観光バス、鉄道などに頼るのではなく、自分の手でハンドルを握り、自分の足でアクセルを踏み、地平線まで一直線に伸びていくアメリカの荒野を走ってみたくなったのだ。
 
   
 
 ルート66を走ったのは、2008年である。
 その年の6月、ロサンゼルスからラスベガスに飛び、現地の「エルモンテRV」社でレンタルモーターホームを借りた。
 シボレーベースの「ジャンボリー」31フィート。
 ただでさえ広いリビングが確保された車だったが、居住部分とリヤベッドルームがスライドアウトするので、RVパークなどに泊まって室内を張り出すと、まさに荒野に出現した巨大な“一軒家”になった。
 
   
 結局この車で、1週間かけて、グランドキャニオン、モニュメントバレー、アンテロープキャニオンといったグランドサークルを回ることになった。
 
 途中、東理夫さんが本に書いたルート66を通る。
 ラスベガスを発って、国道93号線をひたすら南下していけば、キングマン、セリグマンといったルート66沿いに発展した町にたどり着く。
 
 93号線と95号線の分岐点あたりから、次第に荒涼とした大地が広がるようになる。道の両脇には、まばらな灌木が生える赤茶けた大地が退屈なぐらい続く。
 どれだけ走っても、空と地面を分けるただ一本の線しか見えない。
 「地平線」
 日本では、まず見ることのできない線だ。 
 
 
 
 遅い午後に、ようやくキングマンの町に入った。
 木々の木漏れ日が、午後の歩道に涼しげな影を落としている典型的なアメリカの小都市だった。
 
 平和すぎて、退屈にも感じられる静かな街並みが続く。
 しかし、市内を注意深く眺め回してみると、町のいたるところに「ヒストリックルート66」という案内標識が掲げられていることに気づく。
 ここから次のセリグマンに至る道は、往年のルート66の面影が残るエリアとして、観光スポットとしても有名なロードなのだ。
  
 人気のない市内を一巡して、「パワーハウス・ビジターセンター」という看板のかかった駐車場にモーターホームを乗り入れる。
 何の建物か?
 中は「ルート66」のミュージアムだった。
 若干湿った空気が、薄暗い床の上を這っていた。
 
 
 展示物は、ルート66がアメリカにもたらした文化的・経済的影響などを示したパネルといったような地味なものが多く、そのせいか観光客の姿もまばら。
 しかし、何気なく覗いたガラスケースの中に、ちょっと感動的なものを発見した。
 日本語の本 !
 それはまさしく東理夫さんの書かれた『荒野をめざす-魂のハイウェイルート66』であった。
 今回ルート66を走るときの参考書として、私はその本をスーツケースの底に忍ばせてきたのだが、それと同じものが、異国のミュージアムのガラスケースの中に眠っていたとは …。
 
 感無量。
 いったい、どんな日本人がここに寄贈したのやら。
 それとも、このミュージアムのスタッフが、本の評判を聞きつけて、わざわざ日本から取り寄せたのだろうか。
 
 確かに、あの本はルート66を走る気分を表現した本としては出色の出来だった。
 おそらくアメリカ人の中にも、ここまで思い入れを込めた読み物を創造した人間はいないのではあるまいか。
 
 東さんは、ルート66がインターステートハイウェイ40の出現によって、その役目を終えたことを、「アメリカのひとつの時代の終わり」だと表現する。
 
 インターステーハイウェイが整備されることによって、大量輸送と、スピードアップと、仕事の効率化が何よりも優先される時代が来た。
 それと歩調を合わせるように、ルート66を走っていた時代の人たちが大事にしていた何かが、失われた。

 60年代に、日本でもアメリカでも一世を風靡したテレビドラマ『ルート66』(写真下)は、ルート66が全盛を誇っていた頃、その道を旅する2人の青年が、行く先々の町で、人と触れ合い、人情を知り、成長していく物語だった。

 
 出会ったことのない未知の人が、自分に「幸せ」をもたらせてくれる。
 人々が無邪気に、それを信じることができた若いアメリカ。

 そういうアメリカが、ルート66の衰退とともに姿を消す。
 時代の終わりを「道路」が象徴するなんて、いかにも自動車文明の国アメリカらしい話だ。
 
 
 ルート66ヒストリックロードを、セリグマンの町に向けて走る。
 前方の道が、水を撒いたように濡れている。
 しかし、そこまでたどりつくと、何もない。
 水溜りは、さらにその先に移動している。
 「逃げ水」だ。
 涼しげな風情を帯びた幻の水溜り。
 
 東理夫さんも、本の中でこの逃げ水に触れている。
 「ルート66を追う旅は、逃げ水を追う旅のようだ」と。
 
  陽が中天からやや西に傾いた頃、セリグマンの町に入った。
  ここはキングマンと同じ「ルート66の町」といえども、だいぶ観光地化されている。
 
 
 土産物屋の庭先には、古いアメ車がわざと野ざらし状態で置かれているなど、意識的にオールドタイムを演出している気配がある。
 流れる音楽も60年代あたりのロック。ルート66の旅は、アメリカ人の間でも「センチメンタル・ジャーニー」なのだ。
 
 
 モーターホームを道ばたに止め、土産物屋の中を覗き込むと、店の人間に、
 「日本人だろ? ここには日本人がいっぱい来るよ」
 と話し掛けられた。
 
 「ちょいと来い」と店の中に引きずり込まれ、見せられたのはアルバム集。
 中村雅俊をはじめ、テレビでルート66を特集したときの日本人タレントがたくさん載っていた。
 
 「昔テレビで放映されたルート66のドラマは、リアルタイムで観たのかい?」と聞かれる。
 ちょっと照れたが、一応「そうだ」と答える。
 相手は、「うらやましい。俺はそのときにまだ生まれていなかった」
 という。
 
 しかし、その “うらやましい” も、どこか観光客向けの営業トークのような気がした。
 おそらく、そう話かけられて気を良くした中高年の観光客は、アメリカ人の中にも日本人の中にもいっぱいいるに違いない。
 営業トークだな … と感じつつも、売店の兄ちゃんとの会話で、ルート66をこの目で確認しているという実感だけは湧いた。

 兄ちゃんの口車に乗って、「ルート66」の道路標識の刺繍を入れたポロシャツをお土産に買う。
  25ドル。
 同じデザインのものが、キングマンの町で買えば20ドルだったが、そのためにそこまで戻る気にもならない。
 この先買う機会もあるまいと思い、25ドル支払って手に入れた。
 
 もうあれから9年も経ったというのに、このシャツを汚したくないので、日本に持ち帰ってから、まだ2回しか袖を通していない。
 
 
 

町田厚成

キャンピングカーのガイドブック、キャンプ場ガイドブックなどの編集を通じて、キャンピングカーやキャンプ旅行に関する文章を20年くらい書き続けています。愛車は5mサイズのキャブコン。カミさんが機嫌が良いときは犬と一緒に旅行にお供してくれますが、仕事を兼ねた一人旅が多い昨今です。

http://campingcar2.shumilog.com/

関連コラム

キャンピングカーのライバルって、何だろう?

わたなべたつお

2017年12月01日公開 (2015年09月17日更新)

キャンピングカー2人旅のコツ

町田厚成

2017年11月17日公開 (2015年08月27日更新)

快適なキャンピングカーライフのためには駐車のしかたも重要です

しう@SOTO

2017年11月02日公開 (2017年07月03日更新)

3日間で1400km! 激走高速道路周遊記

山口則夫

2017年10月20日公開 (2017年10月16日更新)

子供はキャンピングカーの旅でたくましく成長する

岩田一成

2017年10月06日公開 (2017年06月16日更新)